個人的には「コスメティックな理由」とか「感情的な言葉づかい」というのは、人間の重要な感覚だと思っている。
実質的な中身が同じであっても、その表現方法を変える事で印象が全然違う。
一見さんの素人の目を引くだけの単なるシュガーラップなのか。
それともヘビーユーザーにも「よく出来たデザインだ」と納得されるのか。
そのあたりの差はありそうだけど。
だから「デザイナー」と呼ばれる職業が存在して重宝されるんだろうなぁ。
さて、いわゆる「ひろみちゅ節」や「office節」というのは有ったけど。
「どうして脆弱性の指摘をする人は、身も蓋も無い言葉づかいをするんだろうね」
と思われたりしていたと思う。
指摘された事業側が、脆弱性そのものを隠したり「今後のサービス改善点として考慮いたします。ありがとうございました」と遮断したりする態度を取るので、かたくなになったという面はありそう。
ひろみちゅ節もデザインの手が入ればかなり印象が変わるだろうなぁ。
オープンソース文化の「弱点の指摘は応援」という点が、シュガーラップを排除してダイレクトに問題点だけを指摘することを「善」としている要素はありそうだ。
だから「言葉づかいのデザイン」にまつわる感情面はかなり無視してしまっていると。
人類は有史以来、上下関係とか階級とか態度とか礼儀のようなシュガーラップを重視してきたから。
「話の内容は妥当だけど、人間として気に食わない」という人よりも「話の内容はうさんくさいけど、人間味があふれていて好きだから」という人の言うことを信用するように感情が出来ている。(群れで行動するときは、多少間違っていても感情的に好きな人の言うことを聞いたほうが生き残りやすかったんだろうか。ささいな脆弱性によって世界中の人間がとんでもないダメージを受けるなんてのは、ネットワーク時代にならないと出てこなかったのだろうし)
2004年11月20日(土) [長年日記]
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