仙川日記の追記に関して_:
「事実だけを指す言葉であっても、特に学問的な場だと限定していない限り、なんらかのイメージや感情が乗っかっていると送り手・受け手の双方が思うのが当然」だと考えて書いていました。
特定の個人である「ひろみちゅ節」では、「素直に感情無しで指摘しても、今後のサービス改善の参考にすると事業者は逃げるだけ。だから彼らを焦らせるために、センセーショナル気味に書く」というニュアンスを大多数の人間は感じ取っていると思われます。(ほとんど真っ黒気味のグレーでも「そんなつもりは無い」と逃げを打てる程度に、巧みに冷静な風味で文章は書かれていますが)
でも元々の仙川日記では、「他人の事実を指摘する言葉から、感情を抜かして読み取る訓練はなかなか難しい」ということが書かれていたと思った。
なるほど、あくまでも受け手としてどう対応するかという話題だったのか。
Web界隈に限って考えたとしても。
例えばどんなに的確な言葉で誹謗中傷したとしても。
受け手が言葉の事実関係だけを受け取って、その感情や思惑は受け取らないとすれば。
なぜか「あいつは慇懃無礼で人間味が無いし、都合の悪いことはスルーするズルイ奴だよ」と思われてしまいがち。
そして多数の人に「なんだか分からないけど、この人はロボみたいに事実関係の事しか会話が成り立たないみたい」と敬遠されがちに。
本当に上手いひとは、そういう人間心理の感情を重視する働きを理解して、事実にちょっとした感情面を込めて表現したりするのだろう。それが「言葉のデザイン」か。
でもなぁ。
糸井重里が大多数の人から「なんだか親近感が持てる人」みたいな評価を得ているのと同じ危険性を感じなくも無いなぁ。
シュガーラップの無いダイレクトな事実の言葉を、学問の場所以外でも悪感情を持たずに受け取るテクニックというのが重要か……いや、そのテクニックをたくさんの人に広めることこそが重要か。
「私はこんなに熱心に謝っています。だから信用してください」というような文化ではなくて。
「私はこういう不合理なところをこう改善することを約束します。だから信用してください」という事実を重視する文化になれってことだもんな。
特定の個人である「ひろみちゅ節」では、「素直に感情無しで指摘しても、今後のサービス改善の参考にすると事業者は逃げるだけ。だから彼らを焦らせるために、センセーショナル気味に書く」というニュアンスを大多数の人間は感じ取っていると思われます。(ほとんど真っ黒気味のグレーでも「そんなつもりは無い」と逃げを打てる程度に、巧みに冷静な風味で文章は書かれていますが)
でも元々の仙川日記では、「他人の事実を指摘する言葉から、感情を抜かして読み取る訓練はなかなか難しい」ということが書かれていたと思った。
なるほど、あくまでも受け手としてどう対応するかという話題だったのか。
Web界隈に限って考えたとしても。
例えばどんなに的確な言葉で誹謗中傷したとしても。
受け手が言葉の事実関係だけを受け取って、その感情や思惑は受け取らないとすれば。
なぜか「あいつは慇懃無礼で人間味が無いし、都合の悪いことはスルーするズルイ奴だよ」と思われてしまいがち。
そして多数の人に「なんだか分からないけど、この人はロボみたいに事実関係の事しか会話が成り立たないみたい」と敬遠されがちに。
本当に上手いひとは、そういう人間心理の感情を重視する働きを理解して、事実にちょっとした感情面を込めて表現したりするのだろう。それが「言葉のデザイン」か。
でもなぁ。
糸井重里が大多数の人から「なんだか親近感が持てる人」みたいな評価を得ているのと同じ危険性を感じなくも無いなぁ。
シュガーラップの無いダイレクトな事実の言葉を、学問の場所以外でも悪感情を持たずに受け取るテクニックというのが重要か……いや、そのテクニックをたくさんの人に広めることこそが重要か。
「私はこんなに熱心に謝っています。だから信用してください」というような文化ではなくて。
「私はこういう不合理なところをこう改善することを約束します。だから信用してください」という事実を重視する文化になれってことだもんな。



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