学校教育で「作文」をさせるときに、どうして構造的な文章の書き方から教えないんだろう。
と疑問に思っている。
どんなことを教えるのでも「守破離(しゅはり)」というのが鉄則じゃないかな。最初に「こうやりなさい」というのを教えないと。
ルールも教えずに「思ったとおりのことを文章にして原稿用紙に書きなさい」じゃダメっしょ。
あと句読点だとか一行空けとか「○○。」のルールだとかが世間と乖離しているのもなんだかなぁ。という気も。
いっそのこと「これは学校ルールです。雑誌や新聞とは文章の書き方が違います」ぐらいの身もフタも無いことを国語教師は言ってくれないだろうか。
tablog upper universe: 小論文と論理的思考_:
脱線するが、自分の戯言に対するすべての「ツッコミ」は興味深い。
さて。
「面白い文章」と「論理的な文章」は違うものである。
という着目点は面白いかもしれない。
というかオレには両者は同時に成り立つ軸の違うものだという思い込みがある。
このあたりはマーチン・ガードナーの「数学ゲーム」というコラムが、娯楽性と論理性を両立していたのに感銘を受けたからという幼少期の経験が影響しているのかもしれない。
「面白い文章」というのは、展開していくとインターフェースの範疇に入る話だと思うので、それはそれで大事だよ。という話にしておくのが良い気がする。
さて。
「面白い文章」と「論理的な文章」は違うものである。
という着目点は面白いかもしれない。
というかオレには両者は同時に成り立つ軸の違うものだという思い込みがある。
このあたりはマーチン・ガードナーの「数学ゲーム」というコラムが、娯楽性と論理性を両立していたのに感銘を受けたからという幼少期の経験が影響しているのかもしれない。
「面白い文章」というのは、展開していくとインターフェースの範疇に入る話だと思うので、それはそれで大事だよ。という話にしておくのが良い気がする。



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