のちに調べたり誰かから指摘を受けたりして事実誤認に気づいたときは、事実誤認があったといったことを「気づいた日」の記事に書くことはあるけれど、元記事のほうの訂正なんていちいちやらない。やりましょう。
最低でも過去記事への自分blogへのトラックバックでもしておこう。「記事を訂正した」とかそういうタイトルで。
なぜなら、それは書いた人にとっては「自分のため」だからです。
読んでいる人のために修正していると思うからめんどくさいのだと。
事実誤認をピックアップして誤読されるリスクを避けるために、手を打っておくのです。
数年前にblogブームが来たときにくどいほど「Aboutページを書いてくれ」と提唱されていた:
閲覧者なんてのは1記事完結だろうとなかろうと、特定のところしか読みません(断言)。
前後の文脈なんて見ませんし。話の前提も理解しません。
だから許諾文なりAboutページなりで「これを書いている人間は○○です」というような情報へのリンクを付けないと、書いている人が危険なんです。
「読む人たちがピンポイントで読むことはおかしい」と嘆くのは、あまり前向きではないと。現状認識としても甘いし、今後もそっちの方向に改められることは無いでしょう。
前後の文脈をカットされて、特定のところだけピックアップされるのは、意見を公開している人が背負う宿命だと思う。
前後の文脈なんて見ませんし。話の前提も理解しません。
だから許諾文なりAboutページなりで「これを書いている人間は○○です」というような情報へのリンクを付けないと、書いている人が危険なんです。
「読む人たちがピンポイントで読むことはおかしい」と嘆くのは、あまり前向きではないと。現状認識としても甘いし、今後もそっちの方向に改められることは無いでしょう。
前後の文脈をカットされて、特定のところだけピックアップされるのは、意見を公開している人が背負う宿命だと思う。



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