お釈迦様とか古代の偉人達は自らの言葉を文字に残すことを嫌っていたらしい(今残っているのはたいてい弟子やそれ以降の人たちが遺したもの)。(本当のところは知らないけど)「思い」を形あるものに著した瞬間にそれはその人のコントロールから離れることを彼等は分かっていたのかもしれない。どんな完璧そうに見える素晴らしい言論の言葉であっても、詭弁やほのめかしなどのテクニックによって簡単に逆の意味として意味をゆがめて伝えることが出来ると思う。
だから、ルールや規約や法律という言葉を定義しなくてはいけない場合は、厳密な言葉を書かずに「公序良俗に反したらダメ」とか「お上がダメと判断したらダメ」という曖昧で抜け道のある「官僚語」の書き方をしがち。
mixiのKusakabeお料理コミュ騒動による「Kusakabeさんの態度はあきらかに普通じゃないです」という根拠の無い退会処分とか、京都府警の「著作権侵害の幇助」という謎な根拠によるWinny 47氏逮捕なんかが良い例。あと分かりやすい例で言えば「ヘアーはわいせつ物かどうか」というのも曖昧なままだったり。
あとGPLがたとえば「人権保護の観点で疑問が残る活動での利用はできません」みたいなオレオレライセンスを追加制限条項の禁止で出来なくしているのは、かなり重要な気がする。だって著作権者にとっては曖昧な部分を残して「法律やライセンスでは良いと成っていても、オレが気に喰わないからダメなんだ」としていたほうが本当は都合が良いんだから。逆に「法律やライセンスではOkだと書いてありますよ? だから良いんです」という原理主義が出て来たときに、筋を通して反論しにくい。(それだとGPLの理想が広まらないと考えたから「追加制限条項の禁止」をしたのだろうけど)
でも「自らの言葉を文字に残すことを嫌う」という発想には「文字を逆の意味に解釈させて悪用するハッカーが出てくるから、真の意図だけが伝わるように口伝で」という偉人なりの防衛の意味が有ったんだろう。しかし逆に官僚語や京都府警語としての「言葉で定義すると、お上の都合の良いときに逮捕できないからわざと曖昧に」という悪徳な意味もあるんだよなぁ。
「ありとあらゆる行為や思想には、必ず逆解釈で悪用する方法がある」ということかも。



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