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2006年03月28日(火) [長年日記]

#1 [neta] 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ

デジモノに埋もれる日々: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない_
はてなブックマークやAmazonレビューに、その「悪意」が目に付くようになった ということは、そのサービスがようやく「悪意を視認できるほどメジャーになった」 という証です。これを私は悪化ではなく良化の兆しだと見ています。
という指摘にオレは多いに同意している。
個人的に、公開されているblog等をブックマークして[これはひどい][わろすわろす][死ねばいいのに]というタグを付ける事は自由だと思っている。見知らぬ他人から悪意や嫌悪感を向けられて、心が動揺する心理がイマイチ理解できない。(良く思考方法を理解している身内や友人から悪意を向けられたら、別の意味で動揺はするけど。それは生活に支障が出ると言う意味での防衛反応だから別の話だ)
このエントリーからリンクされている津田大介さんの 音楽配信メモ クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない_ という記事は、オレの解釈では「津田大介さんの感じている嫌悪感に、もっともらしい理屈を付けて思想・提案として文章化したもの」だと感じている。
つまり「俺(津田大介)はこういう風に嫌だと感じている。みんなもこれこれこういう理屈で俺(津田大介)に同意してくれ」というアピール活動だと思う。
(それをこのWeb日記で「文化のひとつ」だとこじつけることにする)
これって「人間は良い子で礼儀正しく有るべきだ」という価値観が元になっていると思うんだよな。そういう価値観は脆弱でセキュアじゃないと思うから、倫理観に期待しないほうが良いと思う。
さて。でも津田大介さんのような「個人的な嫌悪感に理屈をつけて、ルールとして提案するぜ」ってのは重要な働きだとも思う。それが「価値観バトルに勝つ為の屁理屈である」という自覚が有るのであれば。
人類は生存に不利になるような現象に対して、嫌悪感を持つように進化して来たと思う。
たとえば男オタクが幼女萌えしている場面を、幼い娘を持つ母親が見たら確実に「嫌悪感」を持つだろう。
数学者 アラン・チューリング_ が生きていた1952年当時のイギリスでは、同性愛者に対する嫌悪感が「法律」のレベルにまでこじつけられていたりもした。(同性愛の「治療」のため女性ホルモンを投与された!)
個人同士で済んで他人に被害を与えない趣味趣向であれば、幼女萌えだろうが 獣人萌え_ だろうが同性愛だろうが眼鏡男子好きだろうが文化系女子好きだろうが死体写真好きだろうがヤオイ好きだろうが、別に構わないと思うし他人から何を言われる筋合いは無い。自由に趣味を満喫すればいいと思う。ただ人間という動物は、自分の生活が脅かされる趣味をみると「嫌悪感」が発生して、それらを拒否して消し去ってしまいたくなる。
子供がゲームばかりするのが嫌だから、しょーもないが都合の良い森教授の「ゲーム脳」という戯言を信じようとする。ニートや負け犬女や結婚しない若者に嫌悪感を持つのも、老後が不安になるからだし。(これは動物としては非常に正しい反応なので、別に悪い事ではない。人権を侵害するレベルで干渉してきたらヤバいけど)
話は脱線するが、この拒否反応を言語化して伝達可能にした物が、宗教の戒律をはじめとする「文化」だったりするのではないだろうか。たとえば豚肉などのハラーム(不浄な食べ物)を食べてはいけないとか。不浄な手を洗わなければ成らないとか。そういうのって、戒律が出来た当時の生活習慣から考えると、伝染病を防いだり病気に成らないために「理屈」を付けたんだと想像している。
また一夫一婦制の「発明」も、人間という動物の数を増やして、末永く働かせて国力を保つのに都合の良い「文化」だったりしたのだろう。(一夫多婦制は未熟で未開人だ。と嫌悪感を感じている人がいたりもする。本来は相対的な話なのに不思議だ)
この個人的な「嫌悪感」が有る一定の数以上に集まったときに、1952年のイギリスのように「法律」にこじつけられることもある(賭博禁止や大麻取締法みたいに経済的・政治的に都合が悪いから「法律」でこじつけている場合もあるが、それは別の話なので省略)
さて話を戻すと。
人間という動物が持つ「嫌悪感」は生存の為に重要な感覚なので、その拒否反応が広く通用するように活動することは理にかなっている。自分と同じ「嫌悪感」を持つ人が増えれば、アラン・チューリングの趣味を違法にして、社会から排除することも出来るんだから。政治力があれば法案を通したりするだろうし、社長のような社会的な地位が有れば、鶴の一声で社内ルールを押し付けたりするだろう。
それを法やルールではなく、「みんなも俺の考えた理屈に従ってみないか?」と同感を呼ぶように言語化して、提案する行為を「文化」(のひとつ)と呼ぶんだと思う。(オープンソース思想の文化も言語化された「嫌悪感」だ)。
だけど今のWebでは名誉毀損や殺人予告等の法的なルールに触れてさえいなければ、何を書いても何をやっても「自由」だとされている。もちろん公開されているblogや作品を批評するのも「自由」だ。
そんな自由さに「嫌悪感」を持つ人は沢山居る。「違法じゃなければ何をやってもいいのか」と。実際にその「嫌悪感」に屁理屈をつけて津田大介さんのように反批評の「文化」を提唱する人もいる。(あと京都府警が47氏を逮捕したのが、鼻血が出る勢いで無理した「嫌悪感の屁理屈コジツケ」の最大の実例だろう)
オレは単純にWebの自由さには「嫌悪感」を持たないから、その「文化」には同感できていない。(おそらくWebの自由さに「嫌悪感」を持っているひとは、法に触れていなくても倫理感という社会の不文律に反していると考えているのだろう。ただ不文律は文字通り明文化されていないので「察っしろ」「空気を読め」という同調圧力以外に伝える手段が無い。これはアピール不足で弱い。その不文律を明文化もせずに万人に理解を要求するのは無茶だろう)
ただ、その「自由」を悪用して、ライバル社がネガティヴキャンペーンをしているかもしれないという単純な欠陥がある。また、読みもせず遊びもせずに、批評のふりをした悪口を書くというイタズラをされてしまうという欠陥もあるだろう。ただ、それは単なる「怪文書」や「荒らし」であって、そんな物を真に受ける素人がどうしようもないから、簡単に騙されないように対策した方が良いというだけの話だ。「辛辣な批評をするのは悪趣味なのでやめましょう」という文化の話ではない。
つまり、荒らしや怪文書は0クリックで見られないようにフィルターするシステムを進化させれば良いんだと。
結局「人間は良い子で礼儀正しく有るべきだ」という倫理観で秩序を取り戻そうとしても、自覚が有って本気で狡猾なネガティヴキャンペーンをする人には通用しない。かえって批評を真に受ける素人が、そういう本当に計算された悪質なデマに触れてしまうので危険だ。
下手すると、普段の治安が良すぎるので、悪質な犯罪や詐欺に弱い素人を増やしただけ。という最悪の結果に成ってしまうかもしれない。

コメントを読む(4) [ コメントする ]

Re: 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ by 津田    2006/03/28 06:52
書かれていることには概ね同意しますが(そもそも無理だろうなーと思いながら書いてる...
Re: 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ by none    2006/03/28 13:10
「クリエイターに対して批判を言うことは自由だ、そんなことはクリエイターはわかって...
Re: 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ by asitaki    2006/04/02 13:06
この記事自体が「「自由」を悪用」していますね^^;;
Re: 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ by KID B    2006/04/09 23:50
でもその批評を酷評と受けとるか荒らしと受けとるかも「自分は客観的な位置で判断して...
Permalink: http://www.otsune.com/diary/2006/03/28/1.html#200603281
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Last Updated 2006-03-28 00:00:00 By otsune