先に結論を書くと。大抵の人は全ての情報を「宗教的規範」だと思い込みたいから、合理的に分離する思想のほうが特例だと思う。だから「宗教的規範」に接続しちゃうことを前提にした方が良い。と思った。
瀬名NEWS: 科学を「正義の味方」と勘違いしない_
と
RukeとLuNaYuの日記 ゲームノー_
から。
ただ、多くの人は科学に限らず「血液型占い」とか「風水」とか「勝ち組」とか「結婚して子供を産めば幸せだ幻想」とか「東証一部上場企業は幸せ幻想」みたいに、世の中の全ての事柄を宗教的規範……もっと正確なニュアンスで言うと「こうすれば快適に幸せに生きられる」という考えと接続しているのが当然だと思う。「癒し系」だとか「ロハス」とか。
(話が脱線するけど。新聞記者blogが発火するのとか、ネットバトルで議論が紛糾するのとか、ソーシャルブックマークやネット批評のコメントが問題視されるのとかは、人間がもつ「自分は生きていても良いんだ」と思いこみたい心理が、それらの「ダメ出し」で脅かされるからだと思う。大抵の人は他人からのダメ出しに感覚的に拒否反応が出てしまう。合理的で的確な指摘をされても「自分のプライドを失礼な言葉で傷つけた」と思ってしまう。つまり、ありとあらゆる情報や交流に「自分は○○だから他人から素晴らしいと思われているんだ」と考えたい心理が見え隠れして、合理的には判断しにくいのだろう。強引に別の言い方をすると、どんな情報も「宗教的規範に成らないかなぁ」と思って読んでいるということ)
つまり一般的には「科学は合理的なものだから、占いみたいに宗教的規範として使うな」という思想のほうが珍しい特別な考えだと思う。だから「科学とはこういうものだ」というアピールをクドいほどしなければ、そもそも理解してくれないかもしれない。
あと「人間の幸せの為じゃない科学なんて、何の役に立つの?」みたいに、話のレイヤーが大雑把でごっちゃになった反応をされてしまうかもしれない。その時も「いや、科学で判明した事を、どう人間の幸せに繋げるのかは応用分野の話であって……」(この反論が的確だという自信は無い)というアピールをし続けないと。
2006年04月11日(火) [長年日記]
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- Hi-Low-Mix:科学と似非科学
- void GraphicWizardsLairより(と言っていいか?)。「科学」



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