最近、ある「天才」と呼ばれる人が嬉々として「とある仕事」をしているのを見てふと思った事。(仕事関係ではない)
野暮なので実名の表現は控えるけど、その人の仕事ぶりが実は凄いマメなのね。
「天才と言うのは、息を吸ったり食事をするかのようにモノを作る」というようなニュアンスの言葉が有ったと思うけど。なんちゅーか、それ以外にも「こまごまとした雑用の処理」が凄い上手いのね。なんというか「仕方が無いからやるか」という感じでやっていない。
実は天才ってのは「誰でもできるあたりまえの事を、苦にせずとことんまでやる人」の事を言い換えただけなんじゃないかと。
たとえば。「おまえ体を壊すからもう休めよ」「よく飽きもせずに」と言われても、ピアノを弾きたくて弾きたくて仕方が無いので、食事と睡眠以外はピアノを弾いているような人は「ピアノの天才」と表現するみたいに。
まぁいわゆる「才能」と呼ばれている能力の向き不向きってのは有るだろうから「苦だと思わずに当たり前のように努力が出来る人」というトップガンの中でも、さらに優劣は出てくるのだろうけど。
どうしても素人からすると、その「才能」の部分だけが優劣を左右するようなイメージがあるよね。
でも実は「才能」のほとんどは「苦にならずに、あたりまえのことを努力できる能力」が占めているんじゃないかなぁ。
それでだ。
ムラの集団生活の秩序を守って、上下関係の顔色をうかがう処世術というルールに従って生きていると。「天才ピアニスト」みたいにピアノばかり弾いてルールを乱す人間は「遊んでいる」ように見える訳だ。「ピアノを弾くのはやめて、数学の宿題を片付けなさいっ!」みたいなニュアンスで。(まぁピアニストという芸術家・アーティストになるんだ。という「理解」をされたら、もう「遊び」だと扱われなくなるのだが)
だから、ピアノについて興味を持たない(理解していない)外野の人に取っては、この「天才」が遊んでいるのか努力しているのか区別は付かない。
普段はチャランポランにサボっていて、肝心なときにだけしゃしゃり出て来て喝采をさらう。こんな「ひらめき型のお気楽な天才像」ってのはウソだ。
単にその天才の努力が理解できないからそう思えちゃうだけ。だってその天才は息を吸ったり食事をするように、ごくあたりまえに努力しちゃうから、素人には努力しているように見えない。
しかも当人は「ん? 誰でも出来る当たり前の事をオモシロおかしくやっているだけだよぉ」みたいな認識で「マメな雑用」をこなして努力しちゃっている。そして「なんでみんなもやらないの? 面白いよ。ちょっと処理するのにヤヤコシイのも有ってワクワクするよ」ぐらいの天然さだったりする。
2006年04月14日(金) [長年日記]
[neta] 「普段はサボって遊んでいるが、いざというときに凄い能力を発揮する天才」というステロタイプなイメージを持つ人は、単に天才が「遊んでいるように努力している」のが理解できないだけ
Permalink: http://www.otsune.com/diary/2006/04/14/1.html#200604141
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