otsuneのコンピュータ歴
1981年
- 「サイエンス」の数学ゲームというコラムが面白くて夢中
1982年
- 月刊ASCI、マイコン、月刊I/Oのうち、月1000円のこづかいで買える2冊を選択するナイコン族。(こづかい全額を雑誌につぎ込んでいたんだなぁ)
1983年
- NEC PC-8001を親父が購入してくれた。値段は16万だった気が。N-BASICはV1.1。
- I/Oに掲載されていたMZ-80のゲームに音が付いていることに愕然。サウンド機能とは一生無縁に
- 「サイエンス」のメタマジックゲームとコンピューターレクリエーションで書かれていたネタをPC-8001でプログラミングしてやってみる。マンデルブロ集合体とかトーラスゲームとか。
1984年
- LOGiNがお気に入り雑誌に。授業中にN-BASICをノートに書いていた。自宅に帰ると打ち込んで遊んだ。
- 学校にもぽちぽちとマイコン族が。親が富士通勤務のスズキ君はPC-6001とFM-7を買ってもらっていた。キーボードを離しても動きつづけるDigDugで遊んだ記憶が。
- AX-1とかAY-1 とかのアスキーのゲームパックも面白かったなぁ。
- 土曜の晩はオールナイトフジを見ながら、雑誌のリストを朝まで入力して日曜日中RUNしてあそんだりも
1985年
- 授業中にZ80ニーモニックをノートに書いていた。雑誌に掲載されていたダンプリストを16進数テンキーで入力していた。
- 森田オセロのダンプリストを全部打ち込んだのに、掲載ミスで別ソフトだったため動作しなかったのがショック。
- 秀和トレーディングシステムの「PC-8001 Technical Knowhow」とかをボロボロに成るまで読んだ。
- あとなんか親父が買ってきた洋モノの「BASIC GAMES」とかいう書籍も。この書籍にワンプスとか砲台ゲームとかのリストがあってアルゴリズムの勉強になった。
- LOGiNに載っていた「RPG特集」を読んで、Dungeons & Dragonsをやってみたくなる。クラスメイトで帰国子女のクワハラ君がアメリカから持ち帰っていたので翻訳しながら遊んだ。(しかしD&Dのハンドブックは酷い英語だったらしい)
1986年
- ラポートの「遊撃手」がお気に入り雑誌に。後に「BugNews」になる。
- 同じ学年の大河内くんの家にApple][があるという話を聞いた。月刊 ASCIIで見たことの有る白い縦長のモニタ一体式初代Macも有った。後で知ったのだが、この大河内君の親父はA&Aの大河内勝司さん(SweetJamとかMiniCADとかのプログラマ)だった。
- 原宿で開催された小規模なApple展示会みたいなのに誘われていった(息子の友達である中学生をパソコンイベントに誘うプログラマってのも考えたら酔狂だよな)。
- スズキ君と交代でApple][cを貸してもらうことに。ORIGIN社の「ULTIMA IV Quest of the Avatar」を買って遊んだ。やはりMocking Boardは無いApple][だったのでサウンドは鳴らず。
1987年
- 5mm方眼のノートを切り貼りして、256四方のULTIMA IVマップを作ることに。気球に乗って移動しているのをビデオに録画してマッピングした。
- この頃は粗大ゴミからふるいテレビやアンプを拾ってきて、修理して自分の部屋で使っていた。
1988年
- なんかNECが月イチでPC-98シリーズとか出したりして辟易。
- PC-88の「テグザー」とか「Xanadu」とかは秋葉原の店頭でちょっと遊んだだけ。(オレにファルコム属性が無いのは、このころパソコンから離れていたからか)
1990年
- 大日本絵画の「ゲームグラフィックス」がお気に入り雑誌に。パソコンからはすっかり離れてTRPG厨になっていたな。
- 南町田にあった「PHOTON」という光線銃で遊ぶゲームをやっていた。同じチームにロバート・ウッドヘッドが居たが3回ぐらいしか会った事が無い。チームメイトの山北篤に「UNIXなんかダメだよ。使いにくい」という発言をしていたのを覚えている。
1992年
- 誘われて「蓬莱学園の冒険」とやらに参加した。ゲームよりも、その周りのコミュニティーのほうが面白かったという良くワケのワカラン状態だった。
- デザイン会社に勤務していた姉ちゃんが「社長が使っていない古いパソコンがあるから、欲しいなら上げるよ」といわれて取りに行く。CASIO FP-1100だった。今では実家の押入れに死蔵。
1993年
- 高校生のころからの車マニア度数がアップ。周りの連中が「バイクバイク」と言っていたので、天邪鬼に「やっぱ車でしょ」と思って。(トヨタ勤務のキマタ君がパソコンにはまっていたのを見て「車のほうが面白いのに」とおもっていた)。雑誌は「オートメカニック」がお気に入りに。
- ウネちゃんから借りたPC- 98NOTEでP1-EXEを使って文章を書こうとしたけど、FEPの立ち上げ方が解らず電話で聞いた。いつの間に16bitが普通に成ったんだ? と、浦島状態。
- 1993年の8月に日本青年館でTRPG系のイベントを開いた。ちょうど角川春樹が逮捕されて、コンプティーク編集部がドッチラケになって大変だったり。
- 12月に車が柏でエンスト。某たまり場アパートまで16kmを歩いていく。
- そこにあったPC-9801で久しぶりにパソコン通信にハマる。東京BBSではEVERYMANというIDでバイク板などにいた。
- このころからパソコンで日記を付け始めた
1994年
- 4月に有限会社の登記をした。
- MS-DOSのCONFIG.SYSでコンベショナルメモリを開けるのに必死だった。
- WTERMで「東京BBS」「ZOB Station」やTRPG系の草の根ネットを巡回したり。MS-DOSのバッチファイルで条件分岐したりして、5分の仕事を5秒で終わらせるために5時間かけてバッチ組んだりしていた。
- 「愛姉妹」を遊んだり。(18禁ゲームは後にPC-98が周りに無くなったので、遊んだのは「SEEK」が最後に)
- Lotus 1-2-3の操作で脳汁が出る。VZ Editorのマクロを書いたり環境構築をするのに夢中
- AUTOEXEC.BATで自動的に立ち上がるのはFD
- DIET.EXEとVZを常駐させていた
1995年
- しばらくWindows3.1で機関紙をDTPしていたが、会社でMacを買おうという話に。
- そのとき取締役でもあり同時に電通情報システムズに就職していたN津ちゃんのアカウントを使わせてもらってNiftyのFDTPとかFGRAPHICを巡回(ひでー話)。N津ちゃんが自腹で買った PowerBook 550で漢字Talk7を使わせてもらった。
- NIFTY-SERVEがインターネットゲートウェイサービスを開始していた。28.8kbpsモデムでWeb巡回してみた
1996年
- Windows3.1のPageMaker4.5から、PowerMac 9500/120の漢字Talk7.5.2でQuarkXPress3.31r2でDTP。
- そのときに本屋で「FreeBSD(98)2.2.5R入門」という書籍を見つけて、事務所のPC-9801BXにインストール。だけどgoogleも無かったし、周りに詳しい人も居なかったからインストールしただけ。自腹でYAMAHAのSCSI CD-ROM2倍速を買ってインストールしたなぁ。そのころATAPI CDだと認識しなかったんだよね。今考えればNiftyのFUNIXとかで入門Docをダウンロードしてくれば良かったんだろうけど。
- 会社内LANを 10BASE-2の同軸ケーブルで埋設した。そのころ10BASE-TのCバスカードは高かった。
1997年
- 10月。社長がPSゲームの開発費を個人的に溶かしているのが発覚。タメガイとかがクーデターやらなんやらでゲーム会社に転職。
- オレも呼ばれてPhotoshop 屋に。PowerMac 9500/120にNewerTechのG3カードを差して仕事。サターンのギャルゲーのグラフィックをやったり。
- 33.6kモデムをWinGateで共有してインターネットに接続したなぁ。
1997年
- geocities.co.jpで無料ホームページサービスが始まった。そこを借りてWeb日記を書き始めた
- 6月。ゲームの仕事で神宮前に来ていたマッドの松尾さんから相談。「パーフェクトブルーってアニメ映画を作ってるんだけど、モニタとか使いまわしカットが多いんだ。デジタルで解決できるかどうか相談に乗って」と言われる。Adobe AfterEffectsを購入して、サンプルカットを作り今監督にみせる。
1998年
- Appleにつとめている友人から「放出のボンダイiMac rev.Aが10万ちょいで買えるよ」と言われる。初めて自腹で買ったパソコンになる。
- CodeWarrior Pro Ver.2が2万で安売りしていたが挫折
- Dr.Dobbs Journal日本語版やMacTech JapanなどMac向けデベロッパー雑誌が出ていた。短命だったが。
1999年
- Web日記をgeocitiesから移転。検閲済みの過去ログだけにした。
- ゴールデンウィーク中は会社に泊まり込みでDiablo1をぶっ続けでプレイした
- ゲーム会社に居ながらゲームグラフィックのPhotoshop屋とQuarkXPressのDTP屋が主な仕事に
- ヘアサロンのプロモーションビデオ制作を請け負う
- PowerMac 9500にMkLinuxをインストールしてみる
- 社内でAge of Empireブーム。LANで遊ぶために社内LANの勉強が全社的に進む
- ゲーム会社を畳むのでアニメ会社に転職
2000年
- アニメ会社で使用していたSunのSolaris2.6とRAIDのファイルサーバーを置き換える為にRedhat Linuxに手を出す
- Sambaとnetatalkの組み合わせで悩む
- バルセロナとマドリッドに行った。マドリッドのネットカフェから日本にアクセスしたが回線が重くて使い物に成らなかった。
2001年
- 兄弟会社がFreeBSDによって社内LANが組まれているので、FreeBSDに乗り換えようと思っていた。初代「FreeBSD Expert」を本屋で見かけて購入。余っていたAT互換機にFreeBSD 4.2Rをインストールした。
- REALbasicでアニメ撮影支援ツールを組む事にした
最終更新時間:2005年11月24日 23時19分24秒